ボヤき:点数をつけるという行為
『ラストベガス』と言う映画を見た。 Amazonプライムでタダだったし、ロバートデニーロも、モーガン・フリーマンも好きだったから。
パッケージ画像で分かるとおりの、笑いあり涙あり、ちょっとゴージャスでおバカな、通りいっぺんのライトな人間賛歌だった。
映画が嫌いじゃなくて、それなりにいくつか見ている人なら、そういう内容は大体導入部分で想像がつく。 それを分かって見る、安定感を求めて見る。
ところが、映画を流しながら「マドンナ役のこの妙齢女性は誰だったっけ」と検索をかけてたら、この映画にそれこそ通りいっぺんの文句をつけて楽しんでいる輩を見つけてゲンナリした。
しかも、自分の見た映画に20点台だの30点台だの、80点台だのと点数をつけて、何様なんだか知らないが偉そげに紹介している。『ラストベガス』はランク外、「ただ文句をつけたくなる映画」らしい。
炎上商法なのか、ただのマウンティング野郎なのか分からないが(ブログ読者からの批評リクエストにもいちいち上から目線の注意書きを施しているところを見ると、天性のマンスプレイニング能力者なんだろうと思う)、こちらからもすごくありきたりな感想を言わせてもらうと「点数をつける」という行為自体がおこがましくて、恥ずかしくて見てらんないって感じ。
その映画が実際に浅薄で商業主義的で、自称「肥えた目」にはいっそ露悪的にすら映ったとしても、「点数」などというなんの温かみも工夫もないツールでそれを料理してしまった時点で、批評者のKO負けなんだよ。
なぜか。
点数をつけるということは、その絶対的な判定を下すだけの知識や経験や能力が自分にはある、と宣言してるのと同じだから。そして、教授気取りでえらそうに点数をつけてる批評者が、その能力を伴っていることは、ほとんどない。
教授気取るんだったら、せめて映画史上の立ち位置だとか、政治的背景だとか、哲学的考察だとかを入れてみろよ、と言いたい。
素人が中途半端ないちゃもんでもって専門家気取りで点数をつけているのが見ていて一番恥ずかしいから、そういった輩にはせめて言論の自由にまかせてくだらねぇレビューを公開する程度で止めといて頂きたい。点数はやめろ。
と、なんとなく思いつつ、映画そのものは素直に楽しんだひとりぼっちの週末だった。